ピアノ・トリオ ザ・フレッシュメンの運営するスタジオ。スタジオでしか見られない企画もお届けします。

6

フレッシュメン物語 第2回 「秋津チェロ珍道中」

こんにちは、チェロの秋津です。

 

先日メロン君もとい青木君が面白おかしく自分史を語ってくれました。

なかなか演奏会のトークの時間だけでは話しきれないようなエピソードがたくさんありますよね。

秋津という人間の事を皆さんに知って頂くため、この場を借りて自分語りさせてください。

 

まず初めに秋津はかなり特異な経歴の持ち主です。これは自称でも自虐でもなくまぎれも無い事実です。

通常音楽家は幼少期からピアノやソルフェージュに加えて専攻楽器のレッスンを重ねていきます。習っていた先生の薦めや両親の強い希望で音楽科へと進学します。

したがって高校進学時にはピアノやヴァイオリンで約12,3年、チェロなら710年のキャリアがあります。そこからさらに研鑽を積み大学卒業するくらいには20年近い修行の末立派な音楽家へと成長していくのです。(理想)

 

ところが秋津の場合、5歳でピアノを始め(少し遅い程度)13歳からチェロを始め(趣味なら問題なし)18歳まで独学で勉強(大問題)、高校三年の夏から本格的に音楽の道を志し(遅すぎ)一浪して桐朋学園大学へ進学(奇跡)。

卒業後桐朋学園大学大学院へ進学し2013年に修了。

その後少しずつ仕事が増えてきて今では音楽で食べていけるまでになりました(よくぞ)。

 

だいぶ端折ったのでここから詳しく自分語りしていきます。

先に断っておきますが長いです。覚悟して下さい。

 

我が家には音楽家はいませんが、クラシック音楽は割りと好まれていた方だと思います。CDはそこそこ置いてあったし、オーケストラやオペラは良く聴いていました。

5歳になった時、祖母の「そろそろピアノとかやらせなくていいの?」という提案でピアノを習い始めました。

そのピアノの先生の薦めでTOKYOFM少年合唱団へ入団し、この小学校6年間で大変貴重な体験をすることになります。

3大テノールのドミンゴ・パヴァロッティとのメトロポリタンオペラでの共演や、ロストロポーヴィッチ指揮による「イワン雷帝」(当時はチェリストとはしらなかった!!)、エディンバラ国際音楽祭でトゥーランドット出演、他にも数え切れないほどの舞台を踏ませていただきました。

今思えばこの体験が音楽人生に大きく影響していたと感じます。

 

さて中学へ進学し部活動を選ぶ際、合唱部がもしあったらまず間違いなく合唱部へ入っていたと思います。しかしながら合唱部は無く、管弦楽部が一番音楽的な活動をしている部活だそうだったので、迷わず入部しました。

この時点ですでに手段を問わず音楽がしたいと思うまでになっていたんですね。今この文章を書きながら改めて気付きました。

入部した段階でほぼやりたい楽器はチェロとかいうやつに決めていました。というのも「チェロが人の声に一番近い」というフレーズをどこかで聞いていただけで、チェロがなんなのかも知りませんでした。

1学年上の代にチェロが不在だったせいか大変な歓迎振りですっかり気を良くしてしまいました。

ここから楽しいチェロライフが始まるはずなのですが、実は大きな問題がありました。

弦楽器って最初全然楽しくないんです。音程が定まらない、隣の弦弾いちゃう、ポジションって何?音汚いetc.夏休みの間1ヶ月間くらい不貞腐れて楽器に触らなかったと思います。

ところが中学2年生になると後輩たちが新入部員として入ってきます。「後輩にかっこ悪い姿は見せられない」という一心で猛勉強しました。ブラームスの交響曲第4番の指使いを一晩かけて全部考えました。

これが間違っていなかったから今チェロをやれてると思っています。

 

この時期を境にチェロを弾く事がどんどん楽しくなっていきました。

中高一貫の学校だったので高校二年で部活を引退します。大学受験に向け本腰を入れるためです。しかし秋津は大学受験へのモチベーションが全くあがりませんでした。母からは常々「大学は勉強をしに行くところだ」と言い聞かされていました。

ところが何を勉強したいのか、自分でも全く分からない。どこの大学のどの教授のどの授業が、という興味が全く無かったのです。親の留守中にこっそりチェロを弾いたり、親の在宅中は楽譜を見たりしていました。

一度も弾かずに暗譜するほどに。母に「やりたい勉強が無かったら大学行かなくてもいいのかな」とこぼしたところ大層あわてて「とりあえず受験したら?」と言われました。

そんな折に母の勤めていた幼稚園へ出向演奏に来ていた桐朋学園の教授が、音楽の道の可能性を示してくれたのです。「一度みせにおいで」と言われ、これでダメならあきらめもつくと思い聴いて頂いたところ「やる気があるなら先生を紹介してあげる」とのこと!

ここで背中を押してくれたのは祖母でした。うちは母子家庭だったので金銭的な問題もあったのですが、祖母の力添えで音楽家への道が開けたのです

 

まだまだ書ききれないほどのとんでもエピソードがたくさんあるのですが、それはまとめて自叙伝でも出版する時のためにとっておくことにします(冗談です)。

 

ようやく音楽の道に片足を踏み込んだところまでお話できました。ここから先の話は機会があればお話します

 

お付き合いありがとうございました。

 

 

秋津瑞貴

 

 

番組撮影

8

毎日暑いですね。皆さんいかがお過ごしでしょうか?   ピアノの青木です。   エアコンの設定温度を27度にしていたら、演奏で一緒になったモンゴルの方に「日本のエアコン、なんで16度にならないの?」と言われて、ある意味涼しくなったそんな2016年夏。   先の11月、高嶋音楽事務所からデビューする   ピアニスト...

続きを読む

フレッシュメン物語 第3回 「ヴァイオリンの人」

7

こんにちは、ヴァイオリンの人の伊勢久大です。   青木少年の企みで始まったフレッシュメン物語も、秋津チェロ珍道中を経て僕で最後となりました。 最後だから伊勢がオチをつけるとかそういうわけではなく、記事の順番は五十音順です。 伊勢というイから始まるのに一番最後とはなかなかですよね! 余談はこの程度にしておいて本題である伊勢少年の珍道に入りたいと思います。 ...

続きを読む

フレッシュメン物語 第2回 「秋津チェロ珍道中」

6

こんにちは、チェロの秋津です。   先日メロン君もとい青木君が面白おかしく自分史を語ってくれました。 なかなか演奏会のトークの時間だけでは話しきれないようなエピソードがたくさんありますよね。 秋津という人間の事を皆さんに知って頂くため、この場を借りて自分語りさせてください。   まず初めに秋津はかなり特異な経歴の持ち主です。これは自称でも...

続きを読む